秋田市市議会議員第一期の人見高司です。議論や意見を述べるのは評論家の仕事ですが、実行するのが政治家の役目だと考えております。是非皆様応援をお願いいたします。

財政難だという。
消費税の増税はいうまでもなく、地方税さえ新税の創設が語られ
固定資産税、市民税、軽自動車税などもその対象になっている。
実質公債費比率18%以上の自治体は、大阪市を含め414市町村にのぼる。

夕張市の財政は破綻し、結果すべて市民の肩にしょわされた。
廃止休止される施設は主なもので、市民会館、市営球場、プール、図書館、美術館
養護老人ホームなど。そして負担増は、市民税、固定資産税、軽自動車税、下水道料金
保育料、ごみ収集料金など多岐にわたる。ホームヘルパー派遣事業、農業振興対策、
中小企業育成、体育大会事業、防犯灯設置維持にかかわる補助金はすべて廃止。
(「夕張市財政再建の基本的枠組み案について」より抜粋)
360億円という巨額の財政赤字を解消するため、
この措置が以後20年にわたり継続される予定だ。
国や道が、何らかの救済措置を実施することを期待するが、これが地方分権の裏側である。

歴史小説が好きでよく読むが、藩政改革のさい当時の武士階級の人たちは、
半知借り上げ(給与の半分を藩が借り上げること)をし、
下級武士たちは、庭を畑に変え、川魚を釣り、困窮に耐えた。
藩政改革の旗手である上杉鷹山公にいたっては……。
「襟を正す」というのはこういったことを、いうのではないのか。
行政運営に携わる人々が、率先して身を切るような努力をし、
知恵を出し、無駄を省き、汗を流す。
それから増税を検討すべきではないのか。

コスト意識を著しく欠いた、信じられないほどの税の無駄遣い、
ザブーンやセリオンなど、杜撰な計画に基づいて実施された主要施策事業での失敗。
一般財源による救済。
しかし「行政」が、自らの誤りを認めることはきわめてまれだ。
また責任の取り方も、きわめて曖昧だ。
さまざまな説明にも、その場しのぎや、小細工が目立つ。

そのやり方や、体たらくを見ると、ダンダン腹が立ってくる。
定年を間近に控えた、なんの力もない初老の男が、一人憤り
悲憤憤慨する姿は、我ながらみっともないと思うが、
また何故、みんなもっと怒らないのか、とも思う。
怒りを、政治や行政にぶつけないのかと思う。

行政の壁は厚くその力は巨大だ。
地方分権(実態は地方切捨てだと思う)といい、自己責任という。
しかし普通の人は、すべて自己責任をとっている。あるいはとらされている。
責任をとらないのは、自己責任をとれと言う人たちに多く見受けられるように思う。
しょげていた僕の肩を押してくれた人たちがいて、市政により強くかかわりたいと
決意をした。
多くの市民にとり、最も身近で、よく見える場所で、
行政に関与し頑張ってみたいと思った。
少しでも、秋田の可能性を高めたい。
明日はわが身、夕張市民が直面している事態は他人事ではないだろう。
固定資産税は増税基調ではないか、国民健康保険税は他市より相当高く、
市民税は仙台市より高いと聞いた。公共料金は……。
他の市民サービスは、先進自治体に比べどうだろうか。
充実しているだろうか。
子供たちが住みたいという、街を創れるだろうか。
安心して老後をすごせる街を創れるだろうか。

僕に残された時間は、多くはない。
そして、おそらくは私たちに残された時間も。
地価公示価格の著しい下落に象徴される、街の劣化を押しとどめることができるだろうか。
地方分権の時代に対応し、地域主権を確立し、
際立って市民サービスが行き届いた、穏やかでも活気のある街を……。

僕はできっこないことに、挑戦しようとしているんだろうか。
しかし状況は急激に、変わりつつある。
夕張市の破綻後、すべて結果責任を問われるのは、一般市民だということがわかった。
本来職責を問われるべき人たちは、一体なにをしていたんだろう。
確実にくるであろう破綻のときを前に、すくみ震え体裁を取り繕うことに終始していたのか。
議会は何をしていたのか。
薄々感づいていただろう監督省庁は、何をしていたのか。
行政や議会は責任を問われず、市民だけが自己責任を問われる。

何故みんな怒らないのか、行政の本丸を見ようとしないのか。
一人一人の市民が、行政や議会のあり方に関心を持ち、目を見開かない限り
行政は極めて緩やかにしか変わらない。
「行政」ってなんだろう。
「最大の保護産業」である行政についての素朴な疑問である。
緊張を欠いた行政運営に終止符を打ち、

行政を特化することが、日本一の行政府を作ることが、
秋田を活性化する最短にして最良の方法だと僕は思う。


秋田の地から、行政刷新の運動を発信し、日本中に広げていくことはできない相談だろうか。
市民一人一人の参加を得て、気持ちよい汗を流し、知恵を絞り
「市民の常識」を常識とする「行政」を築くことは、そんなに難しいことだろうか。

郡部に行けばいくほど、いままでの「行政」と住民の関係が端的に明示されている。
そびえたつ役場庁舎と、疲弊しさびれた街。
差し迫った地方分権の時代に対処するため、そのようないびつな関係を打破し、
行政とともに、市民もまた変わらなければならない。
公権力や議員に与えられている特権は、住民の福利厚生を向上させるために、
住民から付託、付与されているものだ。私利のために行使すべきではない。
行政の長や議員を、むやみにありがたがるべきではない。
立派な長や議員もいるが、そうでない人もいる。
また立派だった人が時とともに駄目になる場合も多い。僕を含め、人間は弱い。
行政運営や議会審議に心地よい緊張感をもたらすためには、より一層の市民参加が不可欠だ。

「みんなでやねが!! 腰を据えて」

しなり強く行政という強大な壁に、風穴を開け、広げていきたい。
一人参加するごとに穴は大きくなり、行政や議会の実態も見えやすくなるだろう。

みんなで渡れば、怖くはないよ。
僕は頑張る。

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